日本漢方の将来「中医漢方薬学」の提唱

東亜医学協会創立50周年記念特集号「漢方の臨床」第35巻12号掲載分 サイトマップ

 実際に執筆したのは1988年(38歳当時の拙論で原文のまま、誤字の訂正以外は一字一句も改変していません。)また、漢方医薬新聞の昭和64年1月号(平成元年)にも、ほぼ全文が転載されています。さらには故矢数道明先生御みずから『漢方の臨床』誌上で、印象に残った二つの論説の内の一つとして好意的に述べて下さったことを光栄と同時に大変な名誉に思っています。
18年前に書いた拙論『日本漢方の将来「中医漢方薬学」の提唱』の抜き刷りの実際の画像の一部分
 さらに『漢方の臨床』誌第36巻5号、即ち本論発表の五ヵ月後に、「編集雑筆」欄において、編集のT氏が次のように書かれている。

「京都の細野史郎先生がご逝去。漢方の御三家は、矢数道明理事長お一人となった。大塚・矢数・細野の三大大家が開拓、発展させた昭和漢方は平成時代にどのような道をたどるのか。下関の論客・村田恭介氏は切れ味鋭く論説しておられるが、いろいろ議論もあろう。「純粋な学問上の批判」なら大いにやって頂きたい。

 以下、全文は都合により、漢方薬は漢方医学に中医学理論を導入した中医漢方薬学サイトの日本漢方の将来「中医漢方薬学」の提唱に移動した。
 したがって、ここでは拙論が発表された当時のスナップのみで終わる。