漢方薬局薬剤師日録(8) (平成18年4月6日〜9月24日)

漢方と漢方薬の真実>>漢方薬局薬剤師日録(8)

4月6日(木曜日) 漢方専門薬局の店頭での対面販売ではなく、当局も自粛を促しているネット通販(具体的な漢方薬類を陳列・掲載したお誘い販売)や電話相談あるいはメール相談のみによる販売のあやふやさ。
 このネット通販(具体的な漢方薬類を陳列・掲載したお誘い販売)あるいは電話相談だけで漢方薬を販売した場合、もしも全然効果が出なかった場合、新たな漢方処方に変えるにしても、直接来局頂いてじっくり顔を見合わせながら販売したわけではないので、一気に信頼を失うことになる。
 一度も顔を合わせたことがないだけに、効かなかった場合は、いよいよ雲を掴むような話になり、話は空転して不審感をますます招くばかりだった。
 だから、もう十数年前より、どんなに依頼されても一度も来られない人には電話相談はきっぱりお断りしているのだった。

 世間では気軽に葛根湯だの当帰芍薬散、あるいは小青竜湯などと名前だけは有名になっている漢方薬と言えども、このレベルの基本中の基本方剤でさえ、正しく選ばれているとは言いがたいのが現実である。
 ましてや、何年もの病院治療によっても思わしくないので、何かいい漢方薬はないだろうかという時に、そうそう簡単に電話相談だけで適切な漢方薬が見つかるはずもない。
 あっても十度に一度あればよいほうだ。
 百聞は一見にしかずというように、電話で何度相談しても、一度も合ったことのない人に、どんなイメージが湧くと言うのだろうか?
 しばしば電話相談を依頼されるのが漢方専門薬局であるが、長年の経験からは、とんでもないことだと思っている。
 もちろんこのことは、インターネットを通じたメール相談の場合は、なおさら同様である。


 ところが、一度でも来局頂いていると、手間隙かけての直接面談によるご相談であるから、百聞は一見にしかずで、信頼感が一気にますと同時に、その後、遠方であるなどの理由から電話相談やメール相談に移行しても、引き続き綿密な御相談が出来るし、正確な弁証論治にもとづいた適切な漢方薬のアドバイスがスムーズに行える。
 
 もちろん、誤った漢方薬を奨めてしまうことも激減するのである。


4月14日(金曜日)先日送られてきた漢方薬専門の某機関誌を読んでいたら、またぞろ「全身所見は虚実中間からやや虚証」であり云々とあった。
 日本漢方の最大の問題点がここにあると愚考するものであるが、虚実中間とはなんぞや?
 小生とて漢方入門当初は日本漢方は本場の中医学よりも優れたものと教えられ、それを信じて十年間はのめり込んだ。
 しかしながら、結局はこの「虚実中間」などという意味不明の表現に愛想を尽かして日本漢方から離反したのだった。

  日本の虚実の概念は俗に言う体力のことで、いわゆる体力があるなしの判定である。
 医師による診断の場合、日本固有の腹診法によるもの、脈診によるものなどがある筈だが、その虚実の根拠を判然と示してくれる記載は意外に少ない。
 単に「虚実中間からやや虚証」と来られるのだからかなわない。客観性に乏しいということだ。
 漢方医学と中医学の虚実の概念を比較すると、どうしても見劣りするのが漢方医学である。
 日本の虚実の概念だけでは臨床の実際においては、むしろ誤投与を招く最大の原因となているように思われる。
 そもそも日本漢方で恣意的に割り振られた各漢方処方における虚証用あるいは実証用あるいは虚実中間用というものがあまり信頼が置けないのである。


 その証拠に、小生の薬局ではしばしば大柴胡湯や茵蔯蒿湯を繁用するが、これらはいずれも日本漢方では実証用である。
 つまり、体力がある人にしか使えないと決められているということだ!

 ところが、日本漢方では「虚実中間からやや虚証」と判定されるようなやや体力欠乏気味の人にも多く使用してもらって著効を示すことはしばしばなのである。

 つまり、単なる「見かけ上の体力」に漢方処方を合わせることは間違っている、ということなのだ。

 上記の大柴胡湯も茵蔯蒿湯も、中医学的には邪実を除去する方剤である。だから、実邪を除去すべき病態であれば、多少の体力のあるなしに関わらず使用しても構わないどころか、これ等の方剤でなければ治しようがない場合も多いのである。

 だから、日本漢方では小柴胡湯と判断される人であっても、実際には大柴胡湯証であったということもしばしばなのである。


4月26日(水曜日) 漢方処方の温補剤を繁用される風潮にやや疑問を呈することが多い昨今であるが・・・・
 当方の薬局では進行癌や転移ガン、あるいは末期がんなどで主治医公認により、クオリティー・オブ・ライフを高める目的で漢方薬の御相談を受けることは頻繁であるが、世間様ほど温補の漢方処方をそれほど必要とするケースは少ないように思うが、どうだろう?
 扶正袪邪の観点から、もちろん補剤も袪邪の漢方製剤と共に使用するのであるが、世間でやられるように温補に偏った配合を奨めることはかなり少ないように思う。

 たとえばブログ「漢方薬・漢方専門薬局薬剤師の憂鬱」における肺細胞癌ステージ4患者さんに出された柴胡桂枝湯と人参養栄湯についての御質問にあるように、これらの配合に患者さんご自身が体感的にやや疑問に思われているのかもしれない。
 日本漢方では、進行がんや末期がんは虚証と決め付け過ぎるのではないかと、疑問である。
 現実に、しばしば大腸から肺転移を生じた患者さんに病院から出された十全大補湯で風呂上りにのぼせて鼻出血を生じたり、補中益気湯で血圧がマスマス上昇してふらついたり、温補剤の乱用によって軽度の不都合が生じた相談事例は意外に多い。
 どうしたことか、扶正袪邪という中医学では当然の鉄則が、日本の漢方医学には見当たらないのは、『温病条弁』を無視し続けるのと同レベルの悲しい問題のように思えてならない。


 もちろん温補剤ばかりが出されているからと言って、どの人にも不都合が生じるというわけではなく、温補剤が適応の人には、それだけでも食欲が増したり、体力気力が充実するなど、適応者にとっては有利な点は計り知れない。

 しかしながら、温補剤だけでは不適応な患者さんにまで、病名治療的に皆がみなに温補剤ばかりが投与されているような風潮に、やや疑問を呈するのである。

 進行がんや末期がんの患者さんだからといって、邪実が無いわけではなく、逆に邪実の存在が多いがゆえに、温補剤ばかりの投与ではやや不都合が生じかねない事実を指摘するのである。

 このような場合に、温補剤ばかりを投与すると、却って炎症を増したり、痒みが増すなど、激しい副作用では決してないが、補剤ばかりの投与によって生活の質を却って落とすことだってあり得るのだ。

 進行したすい臓がんや肝臓がん・胆道癌などでは黄疸とともに身体に痒みが生じることも多いようだが、このような場合は、温補剤ばかりでは不都合であるから、必ず茵蔯蒿湯などの袪邪薬を併用すべきである、ということである。

 漢方医学には扶正袪邪という中医学では当然の概念がないから、医療用漢方メーカーまでが「ね〜〜先生、がん患者さん達に、補中益気湯を出してみて下さいよ〜〜」という奨め方しかできないのであろう。


5月4日(木曜日) 「漢方の科学化」という言葉に対する様々な疑問。
 もともと漢方というよりも中医学は構造主義科学であるが、日本の漢方医学は科学以前の民間療法レベルだからという意味で「科学化」の必要性が叫ばれているのだろうか?
 調査してみると、どうやらそんなことではないらしい。
 「漢方薬を西洋の医薬品と同じ手法を用いた科学的根拠」ということらしいのであった。
 そもそも中医学とは異なって、理論体系化が未発達な漢方医学における漢方薬を西洋医学における医薬品と同列において、すなわ極論すれば病名治療的に再編成しなおすことが「漢方の科学化」といわれているに過ぎないようである。

 これまでも再三再四述べてきたことだが、日本の漢方医学においては傷寒論や金匱要略を漢方の聖典として崇め奉っても、その後、中国の明代から清代にかけて急速に発展した温病学を無視し続けて来た。
 吉益東洞の学問を捨てた安易な復古主義に悪乗りした挙句が、漢方医学の進歩・発展を捨てる結果となったのである。
 その証拠に平成の現代に至っても傷寒論や金匱要略と同等か、あるいはそれ以上に重要な『温病条弁』を相変わらず無視し続けた挙句が、西洋医学における医薬品に再編成される漢方薬、これがすなわち「漢方の科学化」ということらしいのである。

干潮一発 チヌ 41.6cm 1.3Kg:白衣を脱いだ漢方と漢方薬のヒゲ薬剤師


 科学とは何か?という科学論をブチはじめたらキリがないが、安易に科学ということばが使われ過ぎやしませんか、ということも言いたいことの一つである。

 使ったら効いた。諸検査のデータで効果が証明された。何人に使用して何割の人に有効だったとして、その理論的根拠をどのようにして示すのだろうか?
 病名的なものだけでどれだけ確率論を蓄積したところで、最初から最後まで西洋薬的手法に終始したまま、本来の東洋医学としての理論的根拠が伴わなければ、価値は半減する。

 何もかにも全否定している訳ではないのである。漢方医学としての理論的根拠も必ず示すように、と言いたいのだ。
 のみならず、その理論的根拠を示すからには、必ずその基礎理論をしっかり構築して下さいよ、日本の漢方医学の基礎理論は、本場の中医学に比べれば、あまりにも貧弱過ぎはしませんか、と言いたいのである。

 こういう正論を本音で書くと常に顰蹙を買う日本国であるが、誰かが本音で言っておかないと、いつまでもお山の大将で、気がついたらフランスやアメリカに中医学を教えてもらわねばならない時代がやって来ますよ、という警告を発しているつもりである。


5月13日(土曜日)漢方と漢方薬の話題としてはあまりにも専門的に過ぎるかもしれないが・・・・・
 一時的に衛気不固(衛気の虚)に陥った者が、その虚に乗じて皮毛より寒邪を感受し、同時に口鼻からは温熱の病毒(ウイルス)を吸入したために悪寒発熱・頭痛・咳嗽・咽喉腫痛などを生じる。これ即ち傷寒と温病の合併証である。
 これはどの中医学書にも書かれていない傷寒と温病の合併証という病態認識である。
 インフルエンザや重い感冒時の多くの患者さんの観察から導かれた中医学的な結論である。つまり現代のインフルエンザや咽喉腫痛を伴う多くの感冒が傷寒と温病の合併した病態であるという中医学的病態認識を述べたものである。

 これらの考察は主として、漢方と漢方薬は風邪やインフルエンザに有効か、あらゆる角度から検討し検証するブログとして継続している漢方と漢方薬は風邪・流感に本当に有効か?傷寒と温病を同時に併発するインフルエンザ)で述べていることである。
 ここでも敢えて再録する必要を感じるのは、コロンブスの卵であり、現代医学から見れば非科学的に見える上記の考察だが、構造主義科学としての中医学的観察では、現実に上記の証候を呈する咽喉腫痛を伴う感冒やインフルエンザで最もよく見られる病態であることは、ほぼ間違いないと愚考するものである。


 しかしながら、傷寒と温病を併発するインフルエンザや咽喉腫痛を伴う感冒では、温病の勢力が強い為であろう、傷寒による証候は短期間で終わることが多い。
 それゆえ、傷寒に対する参蘇飲や葛根湯、あるいは麻黄湯類を使用可能な時期は、初期の短期間に限られるケースが殆どである。

 それにも関わらず、葛根湯などで少し効果があったと思ったところで、そのまま継続していると、ウイルスの勢力が強い場合は、同時進行的に生じていた咽喉腫痛や熱感がますます悪化し兼ねない。
 やはり主方剤は銀翹散系列であり、初期のほんの一時期、傷寒の程度によって参蘇飲や葛根湯などを、悪寒を改善するだけの目的で使用する程度に留めておくべきであろう。
 ところが、むやみに辛温発散の葛根湯や麻黄湯などを継続していると、咽喉腫痛や熱感をマスマス悪化させ兼ねないので、早めに中止して銀翹散系列の方剤を中心に、温病治療に専念すべきであろうということである。

 以上は、かなり妥協して書いた部分が多く、現実には傷寒よりも、温熱の病毒(ウイルス)の勢力が強い為に、傷寒より生じた悪寒は多くの場合、放置していても短期間に終わることが多いので、葛根湯や麻黄湯を使用する必要性は甚だ乏しく、むしろ一時的な虚に乗じて侵襲されたことを配慮して、参蘇飲を初期に併用しておく程度で十分かもしれない。
 あるいは、多少の悪寒には手をつけず、もっぱら温病に対する治療方法に専念するのみで十分なケースが最も多いのが現実であろう。


5月23日(火曜日)漢方と漢方薬関連のブログに、過去各漢方専門誌に発表したものを投稿しているが、熱心な読者は一般の人達で、昨夜はわざわざお電話で感想を述べて下さったかたもある。
 その拙論は「中医漢方薬学の理念(上)」と「中医漢方薬学の理念(下)」である。
 一方では、日本古方派を名乗る関西のS氏(匿名)が
漢方と漢方薬は風邪・流感(インフルエンザ)に本当に有効か?」のお問合せフォームを利用して、傷寒論医学で十分にインフルエンザ治療は可能であるとして議論を挑まれてきた。
 真面目な議論なら大歓迎なので、しばらくは当方も謙虚に受け止め、ブログ上で公開討論の場としかかっていたが…

 ところが、これが匿名性の恐いところで、次第にエスカレートしてあらぬ非難と暴言の数々に驚き、これでは真面目な討論にならぬと諦め、互いの往復メールの全文を削除せざるを得なくなった。
 互いに真面目な議論をする為にも、内々での話だから医師あるいは薬剤師等の資格および所属や本名を互いに名乗りあうべきではないかと進言するも、些か驚くような長文の暴言を撒き散らして退散されるのであった。
 よって真面目な忠告として
無礼千万な某古方派漢方家を名乗る匿名者の御意見およびお問合せはすべて抹消」を掲載し、その古方派を名乗る御仁への忠告としたのであった。


 まあ〜〜〜、突如としてこういった乱入狼藉者が現れるので、単調な生活の中にも刺激があって面白いといえば面白いのだが、漢方界の武闘派を自認するヒゲ薬剤師としては、論争を挑まれるお相手が真剣・真面目であれば、当方とて真摯に受け止め、真面目に討論を重ねるつもりであったが、次第に転載不能な暴言が出てくる始末で、おまけに基礎的な中医学用語も温病学にもまったく暗いとみずから書きつつも、日本古方派の優越性だけを主張されても始まらない。
 何と匿名性の無責任なことか!
 それゆえ最終結論としては、「匿名の日本古方派を名乗る揚げ足取りの先生はようやくおとなしくなったが・・・」ということを書くに至ったのであった。


5月30日(火曜日)目に余る温め療法!
 各種炎症性疾患を抱えている患者さんにまで無闇な温熱療法をすすめられ、挙句に漢方処方としても過剰な温補剤投与が目に付くのだった。
 漢方薬の温補剤ばかりでなくの食品としてニンニクや朝鮮人参などの強烈な温補のオンパレードにより、目を充血させて相談にやって来られる人も稀ではない。
 中医学的には、それら過剰な温補の漢方処方や漢方薬近縁の健康食品類によって、一部の体質の人にとっては熱毒と化し、血が煮詰めてられて血液が粘稠になり、このために血液の運行不利を来たして血管壁に瘀血を形成することだってあり得るのである。

 連日夜間の大リーグ野球中継観戦の疲労が祟って激しい帯状疱疹を発した人に、免疫力が低下したのが原因だからと朝鮮人参やニンニクなどによって強烈に温補したためにどうなったか、想像できるだろうか?
 このような一見理に適ったように見える論法も、中医学的な弁証論治に基づくものではないだけに、湿熱の存在を無視した温補の漢方薬や健康食品の乱用により、却って悪化させたり、病院から出された適切な治療薬の効果を阻害している例が稀ではないのであった!


 湿熱の邪気が強烈なときに朝鮮人参やニンニクなどの健康食品、あるいは漢方処方にしても免疫増強とて十全大補湯のような地黄の滋陰薬まで配合された温補剤の投与により、ますます湿熱の邪気を増幅させて痰熱の毒邪を生じて疾患をますます悪化させるのは必定。

 そもそも漢方医学においては「補剤の生殺し(なまごろし)」といったような、補剤の乱用を警告する言い伝えがあったはずですよ。
 
 帯状疱疹の急性期の多くは湿熱が絡んでいることが多いのだから、無闇に温補の漢方薬や温補の健康食品を摂り過ぎると、大変なことになりますよ!


6月7日(水曜日)  先日長年使い慣れたワープロが完全に壊れてしまったので、フロッピーをパソコン用に変換した。
 漢方と漢方薬関連の依頼原稿もこ十五年以上、ワープロに打ち込んだものが多いのが幸いした。
 過去の拙論のめぼしいものをピックアップしてアレンジすれば、その辺のバナーでお分かりのように、漢方と漢方薬関連のブログ類に投稿できるのだった。
 つまり、それだけ老化したのか、昨今、過去に自身で書いたものを読み直して、初めて読む文章のように目からウロコが落ちてみたり・・・・・

 だから、本サイトの裏版的ブログ
白衣を脱いだ漢方と漢方薬のヒゲ薬剤師には昨今、若き頃の拙論を投入しまくっているのだった。
 また時には・・・ムムッ・・・なあんだ、こんな当たり前のことを書いて、それがどうしたってんだよと、まるで他人の文章を読んでいる気分に襲われることもある。
 しかしながら、実のところ、ある時期から自身の進歩が止まったのかな〜〜と不安に襲われることもシバシバなのだった。
 フロッピー原稿としては残っていないもっと古い時代の拙稿にしても、新たなサイトもどき
漢方薬は中医学と日本漢方を合体した「中医漢方薬学」の漢方専門薬局に、当時の月刊『和漢薬』誌の巻頭論文として掲載された複数の「中医漢方薬学」論関連の拙論を主体に、どうして日本漢方が中医学に吸収合併されるべきであると主張するに至ったかの根拠を示す詳細な経緯を公開しているのだった。
 それにしても、古証文ばかりを取り出してサイトを構成するなどとは・・・・!
 少壮いく時ぞ、老いを如何にせん!


 その新たなサイトもどきには、すべてを投入し終えたわけではないが、今から18年前頃の拙論の中には、
中医漢方薬学 (1989年月刊『和漢薬』誌1月号巻頭論文)のように,
ヒゲ爺の漢方入門当初からの迷いの日々を書き連ねている。まだ四分の一くらいしか転載し終えてないが、その四分の一だけでも適切な指摘がなされており、18年前の拙論が当時は喧々諤々の問題となったにも拘らず、今に至るまで事態は何の変化もない日本の漢方界のように思えるのであった。


6月15日(木曜日) 漢方と漢方薬業務において意外に鑑別困難な「痰熱」と「寒飲」!
 日常よくみられる実例は、漢方処方における辛夷清肺湯証と小青竜湯証の鑑別である。
 前者は黄色粘稠な鼻汁や喀痰であり、後者は透明希薄な鼻汁や喀痰ということで、いかにも簡単に見分けが付くようだが・・・
  上記は漢方薬の鑑別上の常(正則)を述べたまでで、実際には変(変則)があってですね・・・・かなり奥深いところが漢方世界の微妙なところですよ。

 津液が鼻や肺に停留する暇がなく、肺気が上逆してクシャミによって頻繁に鼻汁が排出されたり、咳嗽によって喀出されるような場合は、熱盛の状況であっても津液が熱で煮詰められ濃縮される暇がないので、水様性の希薄透明な喀痰や鼻汁がみられることになる。
 これとは逆に、津液が体内に停留する時間が長ければ長いほど、寒飲内停の小青竜湯証であっても、津液が濃縮されて粘稠で濃厚な喀痰や鼻汁が出ることさえあり得るということである。
 このような変則を真に理解し体得するには、漢方および漢方薬の付け焼刃の学習では、なかなか身につかないもののようですね。


 と言っても、現実によくまぎらわしいのは実際には辛夷清肺湯証であるのに、希薄透明な鼻汁が出ている状況で、いかにも小青竜湯証に見えて、実際は辛夷清肺湯証であったということは、意外に多いものである。
 ところが、その逆に濃い鼻汁で粘りが強く、いかにも辛夷清肺湯証のようで、実際は小青竜湯証だったという事例に遭遇したことは一度もありませんよ!


 ともあれ以上の理論的根拠として、陳潮祖先生の『中医病機治法学』の肺臓自病における「肺寒停飲の病機に対する温肺滌飲法」の検討中の次の論説が最も適切であろう。
 以下、拙訳でご参考に供する。

●肺寒停飲と痰熱壅肺の常と変

 痰熱壅肺と肺寒停飲の証候は、八綱弁証における寒熱の典型的な症候のほか、痰の性質が透明希薄か粘稠であるかも寒熱弁証の根拠となる。粘稠な場合は「痰」であり、透明希薄であれば「飲」である。痰の性質が濃厚粘稠であるのは邪鬱化熱により津液が煎熬された場合が多く、透明希薄な飲邪となるのは陽気が不足しているために津液を濃縮する力がないからである。
 但し、以上の病理機序は常〔正則〕を述べたまでで、変〔変則〕については含まれてない。実際の臨床においては、津液が肺に停留する暇なく肺気が上逆して喀出されるような場合、熱盛の状況であっても津液が煎熬・濃縮される暇がないので、水様性の喀痰がみられることになる。これとは逆に、津液が体内に停留する期間が長ければ、寒飲内停であっても濃縮されて粘稠・濃厚な喀痰がみられることもある。それゆえ、色脉合参を十分に行って微妙な所を繰返し推敲し、「常」を知り「変」まで通暁してはじめて正確な寒熱弁証を行うことができるのである。


6月25日(日曜日) 先ほど本サイトの一カテゴリ「日本漢方の将来」の前置きだけを残して本論の全文を、拙論ばかりを集めた新たなサイト「漢方薬は漢方医学に中医学理論を導入した中医漢方薬学」に移転し終えたばかりである。
 「日本漢方の将来「中医漢方薬学」の提唱」に本文すべてを移転し終えたわけだが、このままでは本サイトの容量が30MBなので、将来が不安になるからである。
 更新がとても楽に出来る分、やや容量に不安があるため、急遽思い立って1GBも容量のある月額525円の「ジオプラス」を借りたのだった。
  先ずは「漢方薬は漢方医学に中医学理論を導入した中医漢方薬学」に続いて、「漢方と漢方薬のヒゲ薬剤師アトピー性皮膚炎研究変遷史」ということです。 
 いずれにしても将来を見越して、本サイトや他サイトに公開している拙論の移転できるものは移転しておいて、僅かでも余裕を作っておかないと、うっかり画像を投入することも出来ない。
 ところが、こんかい借りた「ジオプラス」は1GBだから余裕がたっぷりある。しばらく一部の移転作業や新たなサイトの構築に時間を奪われることになる。


 この大容量のサーバーを借りたことによって、容量の少ない本サイトも、多少は余裕をもって継続することができる。
 新しいサーバーでは上記のようにサブデレクトリを利用して、アトピー専門サイトを作り終わったら、中医漢方薬学基礎理論講座や新見解をちりばめた専門用語辞典なども制作することが出来る。
 ただし、厭きがきたらオワリですねけどね〜〜〜(笑)


7月4日(火曜日) 昨日「インターネット上の医薬品や健康食品などに関する広告監視を初の全国規模で実施」という東京都福祉保険局による報道発表資料が某漢方系メーカーからFAXで送られてきた。
 6月28日に発表されたものだということで、プロバイダー等11社と協力ということだが、そのプロバイダーの中には「 健康食品 > 漢方薬 」という錯誤した分類を行っている会社も含まれている。
 きっと漢方と漢方薬に対する認識が乏しく、漢方薬は主として医薬品であるという理解が不十分なのだと思われる。

 それはさておき、本サイトとは姉妹関係にある
厳選相互リンクSEO」当為相互リンク専門サイトには、以前から漢方薬と健康食品をネット販売されている薬局が、あきらかな薬事法違反を犯しているにも関わらず、執拗に相互リンク依頼を繰り返されている。
 ある有名な健康食品をネット上で宣伝しつつ、「癌に効く」という効能を盛んに謳いあげているサイトであるが、「厳選相互リンクSEO」では明らかな薬事法違反を犯しているサイトは相互リンク登録はしないと明言しているにもかかわらず、再三再四、登録申請を送って来るのである。
 驚くべき度胸の持ち主であり、堂々と店主の顔写真まで出して、おめでたいにもほどがある。
 当然密告などはするつもりも無いが、確かにヒドイ薬事法違反を犯しているサイトが結構目に付くものですよ。


7月6日(木曜日) 漢方と漢方薬の聖典は傷寒論と金匱要略であることに異を唱える人もいないだろうが、これらの聖典における「人参」は、現在中医学で人参の代用品として用いられる党参(とうじん)が使われていたというかなり有力な説が存在することをご存知だろうか?
 その根拠を示した中薬学書籍を少なくとも二十年以上前に読んで目からウロコが落ちたものである。それゆえ当時、専門誌のどこかに是非、書いておきたいと思いつつその書籍を紛失してしまい、その出典を示すことが出来ない為に、今日までその詳細を書くことが出来なかった。
 ところが昨日、その本が書庫で見つかったのだった!

 吉林参は、唐の太宗の時代に薛仁貴を派遣した遼東征伐において発見したものである。
 張仲景の傷寒・金匱が著されたのは東漢であるから、歴史の時間的な前後関係から考えると、仲景の言う人参は、実際には現在の党参に該当するのである。それゆえ、脾虚による心下痞には党参を用いる。しかしながら、独参湯証の場合は人参を用いるのである。
 以上のような内容が、1980年に王占璽氏が著した「中薬処方的応用」(科学技術文献出版社重慶分社発行)に書かれている。

裏版:白衣を脱いだ漢方と漢方薬のヒゲ薬剤師には⇒漢方医学および中医学における人参の問題点

 傷寒論・金匱要略に書かれている人参は、実は党参であると主張したり論証した書籍は、上記の王氏の書籍以外にはまったく見たことが無い。
 短い論証ではあるが、かなり説得力があるように思われる。
 また、現代中薬学においても、党参は決して単なる人参の代用品などではなく、党参特有の効能と効果がある。

 当時は、小生自身が「漢方の臨床」誌や「漢方研究」誌など、なんどか党参の有用性を示す拙文を書いているものの、上記の内容を書きたくても、出典となる書籍を紛失したために書くにかけなかった記憶がある。

 その貴重な書籍が、二十年ぶりにヤッパシ自分の書庫から見つかったということだった。


7月17日(月曜日) 久しぶりの連休だから、一生付きまとって離れない(笑)漢方と漢方薬のことは忘れて、秋吉台に行ってきた。直ぐ近くにある大正洞付近の大正館という大理石加工販売店でオニックスの灰皿セットを買った。
 オニックスは輸入品だが、三十年前は目の玉が飛び出るほど高くて買えなかったが、ここ二十年近く、随分安くなって当時の相場の十分の一近いのではないだろうか?

 秋吉台で取れるのは鍾乳石や一般的な大理石などで、なかでも鍾乳石を加工した製品も絶品なのであるが、三十年前の相場の十分の一から五分の一くらいに下がったオニックスに、どうしても目が行ったしまうのだった。
 この画像の灰皿セットのお値段は・・・⇒


 8,500円の値札を7,000円にねびいてくれたのだが、そもそも8,500円でも以前に比べれば、べら棒に安いのである。
 三十年前なら数万円はしたことだろう。


7月26日(水曜日) 先々週に論じた「漢方薬の聖典、傷寒論や金匱要略が書かれた時代」の人参は、実は「党参(とうじん)」だったのではないかという文献を引用して書いていた。
 それにまつわる人参の峻補の問題についてもブログ類で論じていたところ、補中益気湯を服用中の若い女性から、お電話でのお問合せがあった。
 すでに服用中で特別な問題も生じてないのに、漢方医学および中医学における人参の問題点などで論じた内容が気になって不安になったと言われるのである。自分は補中益気湯を服用中だが大丈夫だろうか、という質問である。


 確かに次のように書いていた。
 ウコギ科のオタネニンジンは、やや峻補に過ぎる場合がある。具体的には温補過剰による血圧上昇や顔面紅潮、あるいは皮膚病の誘発、あるいは浮腫など。
 オタネニンジン類が必要という根拠がある場合には大いに使用すべきであるが、通常の疾患に使用される人参配合方剤は、殆どのケースで、オタネニンジンを使用する根拠は、比較的乏しいように思うということである。
 それらは多くは「党参」のほうが、より適切である可能性が高いのである。
 だからと言って、当然、虚証の度合が強いなどの場合は峻補の人参ことが相応しいこともあるのだから、既に服用中で何の問題もなく、調子が良い場合は全く気にされる必要はないのである。


 これについては1980年に王占璽氏が著した「中薬処方的応用」(科学技術文献出版社重慶分社発行)に書かれていた、次のような内容が前提としてある。 

 吉林参(ウコギ科のオタネニンジン)は、唐の太宗の時代に薛仁貴を派遣した遼東征伐において発見したものである。
 張仲景の傷寒・金匱が著されたのは東漢であるから、歴史の時間的な前後関係から考えると、仲景の言う人参は、実際には現在の党参(キキョウ科ヒカゲノツルニンジンなど)に該当するのである。
 それゆえ脾虚による心下痞には党参を用いて、独参湯証の場合にこそ(党参では効果が乏しいので)ウコギ科の人参を用いるのである。


 この温暖化の時代に、医療用漢方などで峻補の人参が配合された方剤が、やや乱用気味に使用されて、いつも尻拭いを行っている職務上、医師・薬剤師などの専門家に向けて、警告を発したつもりであったが、一般の人の眼に触れると、極端な恐怖を抱く人もおられるようで、少し反省している。
 しかし、少なくとも根拠のあることを書いたつもりである。
 表現上の工夫が足りなかったと言うべきか?〜〜〜と言ってもですネ〜っ、真の意味の正論というのは、耳障りや目障りのいいものばかりとは限らないのですよ。


8月6日(日曜日) 西洋医学に対する東洋医学、中医学や漢方医学における漢方薬の聖典、傷寒論や金匱要略を嚆矢とする膨大な過去の漢方と漢方薬の書籍類。
 なかでも絶対不滅の傷寒論・金匱要略ではあるが、ここ数十年の日本、国民の殆どが当時の王侯貴族以上の豊かな生活をおくっている。
 温暖化現象も凄まじく、冬は暖房設備が充実したこの日本国においては、この時代に応じた漢方医学理論の改変および方剤の改良があってよさそうなものだが、さて?

  各社の漢方製剤は画一的な金太郎飴のような個性のないエキス剤に統一化される動きがないだろうか?
 傷寒論や金匱要略などの原典になるべく忠実に作られたものが最も優れていると思うのは、完全なる錯覚ではないだろうか?
 その時代時代に相応しい匙加減によって漢方製剤も作られて当然だと思うのだが、以前はあれほど各社で個性を競っていた漢方製剤が、どこのメーカーの製剤も金太郎飴のように次第に統一されて行く動きを感じるのは、思い過ごしなのだろうか。
 もしかすると成川一郎著「漢方製剤の偽装」をはじめとする氏の長年の漢方製剤のエキス量に対する疑問の解明作業という優れた業績が、却って思いがけない不幸な出来事を生む結果になっているとしたら?!
 実際の所、各社漢方製剤のエキス濃度の問題よりも、各社が競って傷寒論や金匱要略の原典を変方した豊富なバリエーションで許可されていた優れた漢方製剤の数々が、まるで金太郎飴のように統一化されてしまうことのほうが、遙かに重大問題なのではないだろうか!?


 金太郎飴のような個性のない、なるべく傷寒論や金匱要略などの原典に忠実であろうとする漢方エキス製剤に統一化されようとする動きの方が遙かに重大で、こういう由々しき事態を招来した大きな原因の一つが、成川一郎氏の一連の研究が大いに影響しているであろうことは想像に難くない。

 小生に言わせれば、エキス量の問題などはそれほど重大だとは思われない。なぜなら、業界内部では次第に粗悪品との噂が流れ、実際に効果が少なければ自然に淘汰されるべきであるし、おのずとそうなる運命にあるからである。

 むしろ、氏の研究の余波を受けたのであろう?原典の方剤を変形した様々な特長を持った漢方製剤が、何度も言うように金太郎飴のように統一化されて行くことの方が、遙かに由々しき問題なのである。

 しかも、原典に忠実である筈の中には大きな錯誤が伴ったまま、たとえば半夏瀉心湯や柴胡桂枝乾姜湯、人参湯などの「乾姜」に、我が国この日本国においては、ワザワザ飴色になるまで加工した煨姜(わいきょう)モドキを使用して、原典に記載どおりの乾燥生姜を使用しないという重大な錯誤を犯したまま、錯誤を伴った金太郎飴エキス製剤に統一されようとしているのである。
 乾姜に対する錯誤によって、本来の方剤の効果を激減させている事実を知る人は少ない。
(関連ブログ:意外に重要な!漢方製剤および煎薬の品質問題

 まだまだ挙げればキリがないが、まったく理解しがたい現実が次々に出現するこの漢方界は異様としか言いようがない。

 漢方製剤のエキス濃度の問題如き低次元の議論しかなされず、このような真に由々しき事態には不感症でおられるのも、結局は中医学のような高度な基礎理論に無知なまま、吉益東洞以来の没理論の漢方医学を信奉してやまない怠慢の結果に他ならないだろう。

(関連ブログ:成川一郎氏の「漢方製剤の偽装」を読んで感じたこと


8月21日(月曜日) 「血液の循環を良くする」漢方薬を求めてくる人が昔から多いが、血行が悪いから血液の循環を良くしなければならないという考えは、健康を考える上で最も普遍的・常識的考えであり、最も求められる健康上の重要項目となっているようだ。
 ところが、その「血行が悪い」ということは、どういうことを意味するのか、考えてみたことがありますか?
 いかにも分かりきったことのように思われる「血行障害」であるが、中医学的に見れば、とても複雑多変な領域であり、想像力豊かな分析と分類がなされている。

 血行障害を中医学的に極論すれば「瘀血阻滞(おけつそたい)」ということに行き着くので、その瘀血という概念を中心に考察・要約すれば次のようになる。
 瘀血に対する最低限の基礎知識
 これを御覧になればお分かりのように、漢方と漢方薬の世界といっても、中医学的にはこれほど綿密詳細な分析が最低限の基礎に過ぎないのである。
 だから気安く血行障害に効く漢方薬を求めて来られても、専門家にとっても言われた一瞬から、これ等の概念が頭の中を走馬灯の如く走り回るのである。また、そうでなければ漢方の専門家をかたる資格が無いと言ってもよいだろう。


9月2日(土曜日) 漢方処方製剤において、猪苓湯(ちょれいとう)ほどデリケートな製剤はないだろうと思われる。
 効力の点で各メーカー間であまりにも差が大き過ぎるのである。
 エキス濃度の問題だけではないから難しいのである。過去数十年間に観察したところでは、剤盛堂製薬の胱熱散が最も優れた効力を発揮し、医療用の猪苓湯が効果を示さない人にも安定した効力を発揮してくれた。それ程優れた製剤が、突然製造中止となり二度と製造されないらしいのである。
 悪貨は良貨を駆逐するとはまさにこのことか!?

 昨今、漢方界では信じられないことがゾクゾク勃発して、愕然とさせられるばかりだ。金太郎飴のような個性のない漢方製剤ばかりが跋扈しはじめ、個性の強い変方された優れた製剤が次第に消えてゆく。
 ところが今回の胱熱散は、標準的な猪苓湯製剤に過ぎないのに、効力の点で優れていたから淘汰されるとでもいうのだろうか?
 全く信じられない現象ばかりが続発するが、ネット界においても、YAHOO!検索で「漢方」と「漢方薬」で、常に10位前後を安定して検出されていた本サイト「漢方と漢方薬の真実」が、今週から痕跡すら残さず突如消えてしまった、あるいは消されてしまったのも信じられない現象であった。あんまり真実を抉り過ぎたか?


 いかに剤盛堂の猪苓湯製剤「胱熱散」に限って効力が優れていたかを体感した人は、ヒゲ薬剤師の周囲にはかなりな人数にのぼる。
 医療用の猪苓湯が効かない人でも、胱熱散なら確実に効いた。その顕著な実例が、当時、月刊「和漢薬」誌にも発表し、主治医や薬剤師も含めた多くの確実な証人のいる実例さえある。
  ブログ漢方と漢方薬の正しい意味にも取り上げたことだが、http://ameblo.jp/kanpoyaku/entry-10015500974.htmlの一部を引用する。

 たとえば、これは既に十年くらい前に「和漢薬」誌などにも発表したことだが、顔面に生じた慢性の皮膚疾患に、医師の出された医療用の猪苓湯と茵蔯五苓散の配合で全く無効であったものが、市販されているエキス量二分の一の猪苓湯とエキスと粉末が混合された茵蔯五苓散の併用によって比較的速やかな効果を示した例など、患者さん御本人と、主治医に薬剤師2名によって、何度も確認したものである。
 さらに最近しばしば遭遇することだが、複数の女性が医療用の猪苓湯エキスを出され、小生から見ても適切な投与であると思われるのに、一向に効かないからもっといい漢方薬が欲しいという要求に、濃度は二分の一だが効力の点では長年信頼している某メーカーの猪苓湯エキス製剤を試してもらったところ、速やかな効果を得ている事実をどう解釈すべきだろうか?


 実際にまだまだ実例を挙げればキリがないほどだが、その胱熱散の代役を捜し、漸くこれならよいだろうと販売したところ、早速、苦情が舞い込んだ。
 体重100Kgの女性でも、胱熱散なら朝晩各1包ずつの1日2回の服用でも十分満足な効果がえられていたのに、他社の猪苓湯製剤に切り替えてもらった途端、まったく無効なのである。値段が安くなった分、効き目も安っぽいものかと苦情を言われる始末。
 確かに価格的にはやや高価な胱熱散であったが、文句なしに優れた製剤であったのだ。

 突然疲れた。これ以上愚痴を書くのがチョット馬鹿馬鹿しくなった。次期首相と目されている安倍氏は同じ長州出身で、しかもヒゲ薬剤師の選挙区である。
 優れた首相が久しぶりに長州から出る。今後のよりよき政治に期待する以外にないだろうが、コチトラ先が短いのだから、吼えたい時に吠えて、疲れたら突然止めるだけのことだ。

 愚行ばかりが目に付くだらしない日本国だが、安倍氏が活を入れてくれることを期待しよう。
 この国はやっぱし長州人が運営しなくては、腑抜け国家に成り下がる一方のようだからね。


9月24日(日曜日) 煎じ薬でなければ本当の漢方薬の効き目は出ないと公言する専門家がおられるからだろうか、一般の人でも煎じ薬を求めて来られる人が少なくない。
 ただ、奇妙な現象だが、大した病気でもない人に限って煎じ薬という剤型にひどくこだわるのである。
  ところが、漢方薬にはもともと煎じるべきでない牛黄や麝香などの高貴薬のみならず、桂枝茯苓丸や当帰芍薬散、安中散などのように、本来煎じ薬とすべきではない漢方処方がとても多いことを素人さんには知る由もないのだろう。

 そのことを専門家は熟知されているはずで、煎じ薬にこだわるのは個人の自由とは言え、せんじ薬でなければ効かないように言うのはまったくの錯誤である。
 筆者の経営する漢方専門薬局では、ここ十五年、滅多なことでは煎じ薬を製造販売することはない。時間が惜しいからである。
 煎じ薬を製造する時間が惜しいので、エキス製剤や丸剤・散剤などを中心として効率を上げ、製造にかける膨大な時間をすべて詳細・綿密な相談に振り向けることが可能となった。
 そこまで時間をかけても、皆がみな直ぐに適切な漢方処方をアドバイスできるとは限らない。各地の専門家のところで煎じ薬やエキス剤などを長期服用しても治らなかった人達の病気が多いだけに、たっぷり時間をかけても、一度の来局だけで解決がつくほど容易でないのが、漢方と漢方薬の世界である。
 しかしながら、少なくとも言える事は、煎じ薬を様々に服用しても一向に改善が見られなかった人でも、エキス製剤ばかりの組み合わせでも、比較的スムーズに改善していかれる人も、決して珍しくはないのである。